― 現役トレーナーが語る、本当のしつけの話 ―
「うちの子、いつもはちゃんと出来るんです」
これ、飼い主さんからよく聞く言葉です。
「毎回じゃなくていいんです。困る場面は少ないし、たまに出来なくても、最後にちゃんと出来ればいいと思ってます」
そう言われる事もあります。確かに、その通りかもしれません。
正直に言うと、自分は競技会が好きです。だから、これから話す考え方は、その視点が強く出ているかもしれません。
でも、それを差し引いても、伝えたい事があります。
——この「いつもは」に、実はほとんど意味がありません。
競技会の世界では、「いつもは出来る」は通用しない
競技会には、こういう厳しさがあります。
練習では完璧に出来ていた。何十回も、何百回も。
でも、本番でミスをすれば、それだけです。「練習では出来てたんです」は、点数には一切反映されません。
競技会は一発勝負です。その日、その瞬間に出来るかどうかが全てです。
だからこそ、競技会に本気で取り組んでいるトレーナーは、「本番で崩れない」という一点に、とてつもない時間をかけます。
家庭犬のしつけも、実は同じ話です
「普段は全然引っ張らないんです。でも、猫がいる時だけはグイグイ行っちゃって」
「家では呼んだらちゃんと来るんです。でも、鳥がいる時だけは戻ってこなくて」
「普段は絶対に噛んだりしないんです。でも、爪切りの時だけは本気で嫌がって噛んじゃって…」
これ、よく考えてみてください。
「困る場面」でこそ出来ることが、本当に意味のある「出来る」です。
普段の穏やかな時間に出来ても、正直、あまり困っていません。困っているのは、まさに「出来ない場面」の方です。
つまり——「いつもは出来ます」という言葉は、一番大事な部分から目をそらしているだけかもしれません。
もちろん、家庭犬のしつけは競技会と違って、困る場面が四六時中訪れるわけではありません。一日のうち数分、数秒の話かもしれません。
でも、その数分、数秒のために苦労しているのではないでしょうか。だとしたら、本質は競技会と同じです。「出来ない場面で出来るようにする」、これに尽きます。
「出来た」を褒めて終わっていませんか
穏やかな環境で出来るようになった。それはもちろん大切な一歩です。
でも、そこで終わってしまったら、犬はまだ「その場面で出来るようになった」だけです。
興奮した瞬間。誘惑がある瞬間。ストレスがかかる瞬間。
そこでも出来るようにするには、そこまで教えなければいけません。
「出来た事を褒める」のは、しつけのスタートです。でも、それをいつまでも繰り返しているだけでは、「出来ない事」は減っていきません。
穏やかな環境から一歩踏み出した先——興奮した瞬間、誘惑がある瞬間——そこでこそ、犬の「そんな事より、あっちが気になる」という気持ちが、指示より勝ってしまいます。
その時に、「ダメ」と伝える手段を持っていなければ、犬はその場面だけ、ずっと出来ないままです。
以前のブログでもお話ししましたが、しつけの本質は「出来る事を伸ばす」のではなく、「出来ない事を減らす」事です。
本当に大切なのは、「出来たね」で終わる事ではなく、「前だったら出来なかった状況でも出来るようになったね」に変えていく事。
「いつもは出来る」というのは、まさに”出来る事”の話です。本当に取り組むべきは、“出来ない場面”の方なんです。
競技会のトレーニングと、家庭犬のしつけは、根っこが同じ
競技会の脚側行進——他の犬とすれ違っても、飼い主の横で正確な位置をキープし続ける。
これ、散歩中の引っ張り癖を直すのと、実は同じ理屈です。誘惑があっても、指示を守れるかどうか。
競技会のマテ——号令一つで、何分でもその場を動かない。
これ、インターホンが鳴っても玄関に飛び出さない、というのと同じ理屈です。刺激があっても、待てるかどうか。
違うのは、「精度」のレベルだけです。
競技会は、より高い精度——どんな状況でも、どんな誘惑があっても、寸分違わず指示を守れる事を求められます。
家庭犬のしつけは、そこまでの精度は求められません。でも、「困る場面で崩れない」という本質は、まったく同じなんです。
「関係ない世界の話」だと思っていませんか
競技会というと、「特別な訓練を受けた特別な犬がやるもの」というイメージを持たれがちです。
「うちの子は競技会になんて出ないから、関係ない」
そう思う気持ちも分かります。
でも、競技会のトレーニングで培われてきた考え方は、実は日常のしつけの悩みにこそ、そのまま活きます。
「いつもは出来る」で満足しない。困る場面でこそ出来るように、そこに向き合う。
これは競技会犬だけの話ではなく、すべての犬と、すべての飼い主さんに関係のある話だと、自分は思っています。
最後に
「うちの子、いつもはちゃんとしてるんです」
その言葉を、一度だけ立ち止まって見つめ直してみてください。
本当に向き合うべきは、「いつもは」の部分ではなく、「出来ない、その一瞬」かもしれません。
その一瞬に向き合う事こそが、飼い主さんを本当に困らせている問題を、根本から解決する道だと思っています。
競技会は、決して特別な世界の話ではありません。
日常のしつけの延長線上に、競技会があるだけです。普段のやり取りの中で、困る場面でもきちんと指示が通せるようになれば、それはもう競技会に必要な力と、そう遠くない所にいます。
「うちの子には競技会なんて無理」ではなく、「実はもう半分くらい出来ているのかもしれない」——そんな風に思ってもらえたら嬉しいです。
もっとたくさんの犬と飼い主さんに、競技会という世界を覗いてみてほしいなと思っています。
「うちの子、いつもはちゃんとしてるんです」
本当に向き合うべきは、「いつもは」の部分ではなく、「出来ない、その一瞬」かもしれません。
その一瞬に向き合う事こそが、問題を根本から解決する道だと思っています。